過去や記憶は、時間というノイズによって薄れ、やがて忘却の一途をたどる。
そうした過去や記憶に対しては、動画や写真を見ることでのみ接続が可能となる。
私たちは動画に収められている「不確かな過去」を、真の過去としてとらえることで、自らのこれまでの歩みを認知している。
そこに映し出されたものが「不確かな過去」であるかぎり、それがナニカによって作用された虚構の過去であったとしても、私は偽の私を真の私とするほかないのである。
本作品は、両親によって撮影された過去の私、人工知能によって生成された過去の私が混在するホームビデオである。私の過去を学習した人工知能は、まるで真の過去であるかのように偽の過去を映し出す。
近年の画像生成AIモデルの発展の中で、既存の動画や写真が改変され、それらメディアが持つ真実性が薄れている。メディアが真実であるということに依存している私たちの不確かな過去や記憶は、改変された虚構のメディアが真実として提示されたとき、虚構の過去を真実の過去として捉えるほかなくなってしまうのではないだろうか。
私たちは、自らがこの世に生まれる瞬間を覚えていなければ、自らが名づけられる瞬間も覚えていない。それなのにも関わらず、私たちはそれらが真であるかのように妄信し、自分のラベルであるかのように振る舞う。
果たして、伝聞したもの、映像に映し出されたものは真実なのだろうか。
私が実存することですら、一番知るのは私ではないかもしれない。
Direction, Machine learning, Video edit, Photograph, Sound design : Sogen Handa
Special Thanks : Hirohisa Handa, Ako Handa, Manyo Handa